コラム「言葉の教育、大切にしていますか?(前編)」|幼児教室探しの『幼児教室どっとこむ』

−言葉の教育、大切にしていますか?(前編)−

ここ数年、私は子ども達の「言葉の発達の未熟さ」に大きな不安を感じています。
言葉は、話すための道具、コミュニケーションの手段ですが、実際には、人が頭の中で物事を考える時にも、「言葉」を使って考えています。そういう意味では、言葉は、まさに「人の思考」そのものでる、と言っても決して過言ではありません。

時代は、まさに21世紀。インターネットという画期的な文明の利器のおかげで、距離や時間をものともせず、世界中がグーンと狭く感じられるようになりました。このように、物理的な条件がクリアされていくと、よけいにクローズアップされるのが「言葉」の問題。
島国である日本。昔から、外国語の習得にはかなり「問題あり」の我が国ですから、国際社会の中で堂々と生きていくためには、当然のこととして「外国語教育」にも熱が入ります。
しかし、国をあげての外国語教育への取り組み意欲と、その成果には、まだまだかなりの開きがあるのは否めません。とは言え、現代の幼児期の外国語教育熱には目を見張るものがあります。中には、大真面目に日本の義務教育を受けることを放棄し、敢えてインターナショナルスクールへの進学を考える「生粋の日本人」家庭も増加し、ここ数年、英語が堪能ではない日本人の両親が、保護者間でうまくコミュニケーションがとれない、教師と父兄間で意志の疎通がうまくいかない、などとの問題も出てきています。

そんな時代の中で、私はここで、敢えて外国語教育の流れに逆行し、「日本人にとっての、日本語の大切さ」について、お話をしたいと思います。

みなさんは、いったい、どのようにして「言葉」を覚えてこられたでしょうか?日本語習得のために、何か教科書を使いましたか?発音の一つひとつを専門家にチェックされ、学習をして、話せるようになってきたのでしょうか?いいえ、違いますね。きっと、たいていの日本人は、幼い頃から自然に耳に入ってきた音の羅列である言葉を聞き、それを真似ることによって、次々に新しい言葉を習得し、やがて自分のものとして使いこなし、母国語である「日本語」を話せるようになってきたのだと思います。
もちろん、時代が変わっても、今の子ども達も同じようにして言葉を習得しています。聞き、真似て、覚え、使う…そうです、古今東西を問わず、どの国の子ども達も、親や祖父母、兄弟、姉妹等、親しく自分に話しかけてくれる人の言葉を聞き、現在ではテレビやラジオのような生活の中から自然に入ってくる言葉にふれ、自然に「話せる」ようになっていきます。つまり、幼い時期、耳から入ってくる「言葉」という情報が非常に少なかったり、正しくなかったりすると、言葉の学習は遅れてしまう、ということなのです。これは、帰国子女の「日本語習得の遅れ」などで、十分にご理解いただけるでしょう。

このように、子ども達は「言葉」を習得し、その言葉を道具として使って、人とコミュニケーションをはかっていきます。このコミュニケーションの手段である「言葉」の習得が不十分であれば、自分の思いや考えを正確に相手に伝える事が出来ずに、子ども達は自分の思いを相手に理解してもらうことができません。話が飛躍していると感じられるかもしれませんが、一時、非常に問題になった「すぐに、きれる子」というのも、実は自分の思いが上手く相手に伝わらないために(自分の思いを、上手く相手に伝える能力が低いために)、相手に理解されないジレンマ、相手に伝えられない不完全燃焼の気分で、自分をコントロールできずに起こる現象でもあるのです。こういう言葉の取得の流れを、親がしっかりと理解していなければ、無意識のうちに、「意志の疎通が下手な、とてもかわいそうな子ども」を育ててしまうことになるのです。

しかし・・・残念なことに、こんなに情報や文字の豊富な時代に生きていながら、今の子ども達は、昔に比べて「正しい言葉、正しい日本語」に触れる機会が少なくなっています。それはなぜでしょうか?
たとえば、一番身近なところにいる父親や母親が、余暇の時間の子どものお守りを、ビデオやテレビ、パソコン任せにして、あまり子ども達に話しかけない、という現象。たんに、「読み聞かせをすればいいんですよね。」とか、「吟味して、良い児童書を与えていればよいのでしょう?」というような、「与えっぱなし」の教育…こういう家庭教育の変化が、今の「言葉の遅れ」を生んでいます。どんなに豊富なテレビやビデオの「言葉情報」が子どもに与えられても、すばらしい児童文学の本をたくさん与えてあげても、与えっぱなしでは、「一方通行」に終わってしまいます。

我が子の言葉の成長は、自分達が話す言葉に大きく影響されているのだ、という思いや、自分達の話す言葉から、我が子は自然に「日本語」を学んでいるのだという意を怠っていると、当然のことながら、子どもの言葉の成長は遅れ、言葉はどんどんと貧困になっていきます。 親をはじめとする子どものまわりにいる大人の言語能力、表現能力が稚拙であれば、当然、子ども達の言葉もその影響を受けます。
そんな現状の中で、「国際人としての外国語」の必要性だけが独り歩きをしている・・・まさにこれが今の子ども達を取り巻く状況なのですね。

今の子ども達の中には、「あのね、あのね、あのね…」ばかりが多く、「ほらー、きゅーんとやったらね…ばあってなってね、それで、それで、あの、ほら…」のような話し方しかできない子どもがたくさんいます。しかし、たぶん家庭の中では、そういう話し方でも咎められることなく、まあ、適当に親も推測をしながら、理解しているのでしょうね。そして興味深いことに、そういう話し方しかできない子ども達は、自分が話しかけている相手が、自分の言っていることを理解してくれなければ、すぐに癇癪を起こして、腹を立て「もういい!もう、○○ちゃんは言わない!」と決まり文句のように言います。時々、こういう子ども達とお母様との会話をこっそりと見ていますと、癇癪を起こしている我が子に決まってママ達は、「ごめん、ごめん、ママ、あなたの言ってること、わかんないのよー」などと、謝っているのですね。
しかし!!こんな間違ったシチュエーションで我が子に謝るくらいなら、最初から、正しい言葉を教える努力、正しいリードが必要ですよね。
いかがでしょう?あなたのご家庭、あなたのお子様は大丈夫ですか?    … つづく

幼児教室マナーズ
南坊 まどか先生

 → 言葉の教育、大切にしていますか?(後編)

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